三重塔 再建ものがたり
斑鳩(いかるが)には、矢田丘陵を背に立つ美しい三つの塔があり、いつからか親しみを込めて「斑鳩三塔」と呼ばれています。法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔、そして法輪寺の三重塔です。
しかし、この光景を見ることができなかった31年間がありました。法輪寺三重塔再建に至る道のりと、それを支えてくださった人々の物語をご紹介します。
落雷による焼失と
国宝指定の解除
太平洋戦争末期の昭和19年(1944)7月21日、法輪寺の三重塔は落雷によって焼失しました。
仏舎利や塔内の釈迦如来像、四天王像は救い出されましたが、塔はまさに火柱となり、身をよじるように燃え落ちました。
焼失前の塔は、最大最古の三重塔として明治時代より国宝指定を受けていましたが、全焼してしまったために、その指定は解除されました。
住職二代にわたる
勧進行脚
幸田文さんと法輪寺三重塔
作家・幸田文さん
とのご縁
そんななか、作家である幸田文(こうだあや)さんとのご縁が転機をもたらしました。
父・幸田露伴氏の代表作『五重塔』のモデルとなった、天王寺(東京都台東区谷中)の五重塔焼失を目の当たりにしていた文さんは、ある出版社を通して法輪寺の勧進の話を知り、他人事には思えなかったといいます。
文さんは法輪寺三重塔再建のため、企業や個人を回って寄金を募り、住職と共に免税申請をかけ合い、講演会やメディアへの執筆も厭わず、全国を巡りました。すると「文さんの話を聞きました」「書かれたものを読みました」と、全国に大きな縁の和が広がっていったのです。
■幸田 文(こうだ あや)
明治37年~平成2年(1904~1990)東京都出身。父は『五重塔』の作者・幸田露伴。昭和22年(1947)、露伴の死後執筆をはじめる。同40年(1965)、当寺住職・井ノ上慶覺に会う。再建資金集めのため各地で講演活動を行うなど、当寺三重塔再建のためにご尽力いただいた。再建工事中の昭和48年(1973)6月~49年(1974)7月の期間は斑鳩町に下宿し、工事の進展を見守られた。『おとうと』『流れる』などの著書のほか、「法輪寺の塔」「胸の中の古い種」等、当寺三重塔とその再建への思いを綴った随筆が数編ある。
西岡常一棟梁
宮大工・西岡常一さん
とのご縁
全国からの支援は2万人に及び、昭和47年(1972)10月8日、いよいよ起工式が執り行われました。
三重塔再建の設計は「法隆寺の昭和大修理」で知られる竹島卓一博士、工匠は法輪寺の信徒総代であった宮大工・西岡楢光(ならみつ)氏と長男・常一(つねかず)氏、次男・楢二郎(ならじろう)氏ら、西岡家が手がけました。
再建工事は楢光氏に始まり、常一氏に引き継がれ、やがて若い宮大工たちも加わりますが、「最後の宮大工」と謳われた常一棟梁に妥協はなく、金属の補強材を使うか使わないかで、設計者の竹島博士と激論を交わすこともたびたび。
木の活かし方を知り尽くした常一棟梁には、「宮大工として代々伝承してきた技術で再建を」との信念がありました。
■西岡常一(にしおかつねかず)
明治41年(1908)、奈良県に生まれる。法隆寺の修復工事で多年にわたり宮大工として修行した後、法輪寺三重塔の再建、薬師寺金堂、同西塔の復興などで棟梁をつとめる。木を活かすことのできる最後の宮大工ともいわれた。なお、法輪寺三重塔再建工事では、常一氏の父・楢光氏、弟・楢二郎氏、また弟子の小川三夫氏(現・鵤工舎代表)にもご尽力をいただいている。
法輪寺は
「うちの寺」
法輪寺の前を通れば手を合わせ、嵐の日には風備えに駆けつけるなど、お寺と共に生きてきた地元の方々は、法輪寺を「うちの寺」と呼びます。そして奈良巡りのたびに法輪寺を訪れた方々もまた、親しく「うちの寺」と呼んでおられました。
太平洋戦争の敗戦後、戦地より帰国した方々を待っていたのは、「うちの寺」の三重塔が焼失したという現実でした。三重塔は心の原風景そのもので、故郷すらなくしたような喪失感にとらわれたといいます。
三重塔再建は難航を極めましたが、地元の方も全国の方も諸事節約して貯めたお金を何度も何度も「うちの寺」へご寄進くださり、塔再建へお力添えくださいました。
いよいよ塔の再建工事が始まったとき、地元有志は農作業を一年休んで手伝いに日参しました。「塔、行かなあかん!」。それが合言葉でした。
創建当初と同じ姿で
お返しする
昭和50年(1975)3月末に、三重塔は西岡常一棟梁のもと、ついに竣工を迎えました。塔内には、焼失時に救出された仏舎利や釈迦如来坐像、四天王像が納められ、同年11月4日、落慶法要が営まれました。
落雷による焼失から31年。住職二代にわたって全国を勧進行脚するなかで、幸田文さんをはじめ、全国のたくさんの方々から大きな支援をいただき、旧来の場所に創建当初と同じ姿でお返しすることができました。
斑鳩の里に風が吹く日、塔に吊り下げられた風鐸が揺れ、からん、からん、からんと、小さく乾いた音を響かせます。それは塔の再建を言祝ぐ「天人の楽」のように、人の心を和ませる優しい音色をしています。